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An Unexpected Party で語られたあんなことこんなこと!~Part6~

2008年06月26日 05:12

Q「デル・トロ監督が、ホビットや“剣とサンダル”ジャンルへの軽蔑を自ら認めている以上、どうして公正な映画を作ることが出来るでしょうか?
何故、ピーター(ジャクソン)自身が、『ラブリー・ボーン』の後、『ホビットの冒険』を監督することが出来ないのですか? 彼は『ホビット・・・』2部作を監督することが出来るし、その上で『タンタンの冒険旅行』も監督すればいいじゃありませんか」


(*“剣とサンダル”〈Sword and Sandals〉:通常は、古代ローマ史劇などのヒーローを描いた映画ジャンルのことで、『ベン・ハー』や、最近なら『グラディエーター』や『トロイ』等がこれにあたります。後にデル・トロ監督自身から指摘がありますが、質問者は所謂“剣と魔法”〈Sword and Sorcery〉ものと混合しているようです)

  *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   

遅れに遅れて申し訳ない。第6回目でございます。
さて、このいささか挑発的な質問は、デル・トロ監督の『ホビットの冒険』への正式参加が発表された翌日、4月25日のSalon.comの記事に端を発すると思われます。
ファンのお祭り気分に水をかけるような内容の記事でしたので、あえて当Blogでも取り上げませんでしたが、要約するならばこんなカンジです。

“このプロジェクトは成功する筈がない。何故ならば、
●過去のデル・トロ作品の、およそ児童文学向けではない陰惨な作風に加えて、公式の場で“剣と魔法”ファンタジーへの嫌悪と軽蔑を表明した(*2006年のカンヌ映画祭でのインタビューのこと)監督への不信。
●相次ぐ訴訟やニューライン・シネマの吸収合併などの問題の山積。
●PJ&フラン、P・ボウエンに加えて、デル・トロ監督までもが脚本を書くという『船頭多くして船山に登る』状態(勿論、こんな諺英語記事に出てきませんが(^o^: )。
であるから”

一見暴論のようでもありますが、ワタクシを含む全てのファンが密かに懸念していることと合致する部分があることも認めざるを得ません。
デル・トロ監督が、Best20に入った質問でもないのに、この問いに一番多くの時間を費やしたのは、この回答をファンの不安(や不満)に対するご自分の意思表明としたかったのではないでしょうか?
それでは、続けてギレルモ監督の真摯でかつ情熱的な答弁をどぞ!

  *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   

GDT「オーケー。あなたの言う“剣とサンダル”というのは、もしかして“剣と魔法”ジャンルについての2006年当時の僕の基本指針について言及していると思っていいかな?
じゃあ、4歳から始まった僕の熱狂的な読書家であって本の収集家となった遍歴から話を展開することを許してくれないか。

写本、パンフレット、初版本、小冊子、それにくたびれたペーパーバック・・・。これらのコレクションに圧迫されて、ぼくの家族は家を越さなければならなかった程なんだよ」
GDT「数十年の間、僕の主な興味の対象はホラー・フィクションだった。
アルジャーノン・ブラックウッド、アーサー・マッケン、M・R・ジェイムズ、レ・ファニュ、そして古典的なお伽噺と神話の原動力となった文学-完全版のグリム、アンデルセン、ワイルド、ベッテルハイム、タタール等々。
時々はSF(ハードウェアよりも、人間味豊かなもの)にも耽ったよ。つまり、ブラッドベリ、エリスン、スタージョン、そしてマシスンなどのお気に入りに囲まれて過ごしたんだ。
ファンタジーの分野に関して言えば、僕の本棚を占める範囲はかなり狭くなる。
若い頃には、ムアコックやクラーク・アシュトン・スミス、ロード・ダンセイニ、ロイド・アリグサンダー、フリッツ・ライバー、マルセル・シュオッブ、それにR・E. ハワード等を読んだよ。

それにも関わらず、“剣と魔法”や、見境のない魔法ファンタジーの雑多なサブジャンルには決してのめり込まなかったんだ。巷に溢れる、新しい「三部作」や「年代記」と呼ばれるサブジャンルが、トールキンの作品や、C.S.ルイスの情熱-宗教的にせよそうでないにせよ-と同じくらい本物であるかどうか、判別し難かったからね。
だが今の僕は、全ての新たな土地に追いつくために狂人のように読んで、この大陸-卓越した言語学者によって生みだされた宇宙論-のシャーマンとなったんだ。

まるで我々の観念的な洞窟の外で現存する世界を把握するかのように、トールキンは神話と伝承をもって巧みに織りなし、世界全てを導くんだ。
その傑出した長所は、これら全ての専門的な博識によって、物語が剥製術(*のように外見だけで中身のないもの)になったりしないことだ。彼は支配する全てのものに対して、錬金術を成し遂げる。彼の創造物が彫まれたばかりの粘土から、新しい生命を生み出すんだよ。

数年間を通して、僕はトールキン神話のルーツと、ファファード(*フリッツ・ライバーの“ファファード&グレイ・マウザー”シリーズ)またはエルリック(*マイケル・ムアコックの“エルリック・サーガ”シリーズ)、あるいはハイパーボリア(*クラーク・アシュトン・スミスの超古代大国“ハイパーボリア”シリーズ)などのルーツに精通するようになった。そして、魔力を持った狼、シャープシェイパーとひょろ長い手足をした蒼白の戦士は、最終的には全て不滅の一つの物語、一つのサーガに組み立てられる、その入組んだ道程を時間をかけて味わったんだ。

『パンズ・ラビリンス』を撮った時、僕は妖精伝承の最も厳密な形態を味わって、ファンタジーの世界と戦争と政治(偽りを演じる大人のやり方)の妄想の間に、本能的なリズムで繰り返すモティーフをあてはめようとした。
その頃『ホビットの冒険』をちょうど読み直して、僕はその発見に非常に心を動かされた。ビルボの目を通して見た実態のない富、秘蔵の罪と戦争の陳腐な本質。西部戦線か中つ国の谷かに関わらず。いかにも“山は孤独”なものだ。

その声名-2005年の『ヘイロー』のミーティングでPJとフランに会った時、既に作るチャンスがあったという-がなされた時、『パンズ・ラビリンス』のプロモーションの間の他の呼び出しで、僕は『ホビットの冒険』以外のトールキン作品を読了していないとはいえ、LotR3部作の映画に魅せられたと何度も話しているよ。

確かに僕は一般的には“剣と魔法”の人でもなければ、“ファンタジー”の人でもない。同じように“SF”の人でもないが、すぐにでもエリスンやスタージョン、またはブラッドベリやマシスンの映画を撮れるし、剣を持った戦士(バーバリアン)に夢中じゃなくても、ファファードとグレイ・マウザーや他の作品には是非とも取り組みたいと思ってるんだ。---さて、話の結論に移ろうか」

  *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   

という訳で、ギレルモさんの熱弁、更に続くのでした(^o^;
この後、最後の質問まではあと一回の掲載で終了予定です。ええっと、少し寝ます(笑)
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